福岡高等裁判所 昭和61年(う)454号 判決 1988年3月24日
主文
原判決を破棄する。
被告人両名はいずれも無罪。
理由
本件各控訴の趣意は、被告人両名の弁護人冨田康次、同石井元、同清川明が連名で差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官岩﨑榮之が差し出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。
論旨は、被告人両名の過失を認定して被告人らを有罪に処した原判決には事実の誤認があり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れないというのである。
そこで、検討するに、記録によれば、被告人両名に対する本件公訴事実(但し、訴因変更後のもの)は、「被告人Xは、長崎県佐世保市立神町二一番地佐世保重工業株式会社佐世保造船所の修繕部長兼艦艇造修部長として部下職員等を指揮監督し、同会社が請負った修繕船工事を施工するとともに、右各部安全衛生管理者及び右各部統括安全衛生責任者並びに修繕船防火指揮者として、安全衛生管理計画の決定・実施、課長・係長の行う安全衛生管理業務の指揮監督、職場環境・設備・機械などの保守改善による安全衛生の確保、安全衛生を含む作業工程等の調整・決定、不安全要因の発見除去及びその指揮監督、安全衛生教育・訓練計画の決定実施並びに基本的防火対策の決定・実施などの業務に、被告人Yは、同造船所修繕部機関課長兼艦艇造修部機関課長として被告人Xの指揮を受け、かつ、同被告人を補佐し、部下職員等を指揮監督して同会社が請負った修繕船の機関部門に対する修繕工事を施工するとともに、右各課安全衛生管理者及び右各課統括安全衛生責任者として安全衛生管理計画の決定・実施、係長の行う安全衛生管理業務の指揮監督、職場環境・作業設備・機械・器工具・保護具・救急用具及び消火設備などの保守・点検・改善による安全衛生の確保、安全衛生を含む作業工程等の調整・決定等、不安全要因の発見除去及びその指導監督並びに安全衛生教育・訓練の計画・実施などの業務に、それぞれ従事していたものであるところ、昭和五七年三月一三日以降、同造船所構内において、前記会社が請負ったインド船籍鉱石兼油槽船バラウニ号(総トン数四五、七五二トン)の機関部等の修繕工事を部下作業員及び下請企業所属の作業員合計約七〇名を指揮監督して実施しようとしたが、同船機関室船底部には易燃性残油を含むビルジが滞溜しており、かつ、右工事の中には多数のガス切断器等を使用する火気作業等もあった上、船体の構造上作業中機関室等において火災発生等の事態が生じた場合作業員の避難並びにその安全確保には多大の困難を伴うことは十分に予測されるのであるから、前記作業員をして右工事を実施させるに当たっては、火災発生等の場合に備え、その早期発見と作業員に対する早期警報の措置を講じ、作業員を迅速、かつ、安全に避難させるため、あらかじめ火気見張りのための特別警戒員を配置し、各作業員に呼子を携帯させ、サイレン等の警報装置を完備し、同機関室等に作業員が船外に脱出できる避難口を設け、フレートプレートから上部に通ずる非常用梯子を仮設し、右梯子・階段・避難通路及び避難口に停電時でも視認可能な避難用誘導標識及び誘導灯を多数設置し、かつ、各作業員に避難用の懐中電灯を携帯させるとともに、事前に作業員に対する安全教育・避難訓練を実施するなどして作業員の生命、身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、右特別警戒員を配置せず、サイレン等の警報装置、前記避難口、非常用梯子、避難用誘導標識及び誘導灯を設置せず、各作業員に呼子・懐中電灯を携帯させず、かつ、避難訓練等も実施しなかった過失により、同月一八日午後三時一五分ころ、右バラウニ号機関室船底部において、同船船員スレッシュ・ヴァザント・ナルカルらがガス切断器を使用してゼネラルサービスポンプを除去する火気作業に従事中誤って同ポンプ周辺に滞溜していた易燃性残油を含むビルジに発火炎上させ、同機関室内に火災が発生した際、何ら作業員に対する火災の通報及び避難誘導等がなされなかったため、同機関室内で各種作業に従事していた作業員Aほか一一名をして右火災発生の認知を遅らせた上、同機関室内から船外等安全な場所へ脱出することを不能又は著しく困難ならしめ、よってそのころ、右機関室等において別紙一覧表(省略)記載の右Aほか九名を焼死させるとともに、同作業員B(当三〇年)に対し加療約三か月間を要する吸入性肺炎の、同C(当四二年)に対し加療約一〇か月間を要する熱傷(皮膚、気道)の各傷害を負わせた」というものであり、これに対し、原判決は、「被告人Xは、長崎県佐世保市立神町二一番地所在の佐世保重工業株式会社佐世保造船所(以下「SSK」という。)の修繕部長兼艦艇造修部長として、右各部所属の部下職員等を指揮監督して同社が請負った修繕船工事を施工するとともに、同工事の施工に際し同工事に従事する右部下職員等の作業上の安全衛生を確保すべき業務に、被告人Yは、SSK修繕部機関課長兼艦艇造修部機関課長として、被告人Xの右業務を補佐するとともに、同被告人の指揮の下に右各課所属の部下職員等を指揮監督して右修繕船の機関部門における工事を施工し、かつ同工事の施工に際し同工事に従事する右部下職員等の作業上の安全衛生を確保すべき業務にそれぞれ従事していた者であるところ、昭和五七年三月一三日から、SSK構内において、同社が請負ったインド船籍鉱石兼油槽船バラウニ号(総トン数、約四万五七五二トン、以下「本船」という。)の機関部等の修繕工事(以下「本船工事」という。)を施工するに際し、本船機関室内の工事についてはSSK所属の作業員及び下請企業所属の作業員の合計約七〇名を使用して実施しようとしたのであるが、本船機関室の船底部には当時易燃性残油を多量に含むビルジが滞留しており、かつ同機関室内の工事においてはガス切断器等の火器を多数使用する火気作業が数多く予定され同作業の過程には火災発生の危険が高度に存していたうえ、同機関室は煙突へ吹抜けになって周囲を隔壁等で区画された半密閉構造となっており、内部は四層に分かれ、各層の間隔は約三ないし四・六メートルでそれぞれ昇降階段で連絡され、室外への主要な出入口も同室の最上方に集中しているなど、同室内で火災が発生した場合には、その構造上、各層に分かれて作業に従事する多数の作業員全員の早期かつ安全な避難には非常な困難が伴い、作業員の生命・身体に高度の具体的危険が生じ得る作業環境にあり、このことは前記各業務に従事する被告人両名においても十分予測し得たのであるから、多数の作業員を使用して同機関室内における修繕工事を施工させるにあたっては、火災発生等の場合に備え、作業員を同機関室から早期かつ安全に避難させるため、部下職員等を指揮して外板等の部分の適切な位置に速やかに船外へ脱出できる避難口を開口させるとともに、各層を連絡する昇降階段を常時使用できるよう保守させ、特にフレートプレート左舷側の下段フロアーへ通じる昇降階段が取りはずしてあったので、これに代る仮設梯子を設置させるなどして、作業員全員が早期かつ安全に避難できる通路を常時確保してこれを作業員に周知させ、もって作業員の生命・身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右避難通路を確保する等の措置を講じないまま右多数の作業員を本船機関室内における右修繕工事に従事させた過失により、同月一八日午後三時一五分ころ、同機関室船底部において、本船の船員ナルカル及びバナージがガス切断器を使用してゼネラルサービスポンプ(以下「G・Sポンプ」という。)を台座から取外す火気作業に従事中、過って同ポンプ台座下附近に滞留していた易燃性残油を含むビルジに着火炎上させ、機関室内に火災が発生した際、同室内において各種作業に従事していたA外一一名の早期かつ安全な避難を不能にし、(以下省略)」(省略部分は公訴事実と同旨)と認定して、被告人両名をいずれも禁錮一年(二年間執行猶予)に処したことが明らかである。
よって、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、まず、関係証拠によれば、以下のとおりの事実が認められる。
(1)被告人Xは、昭和三二年三月佐世保船舶工業株式会社(のち佐世保重工業株式会社と社名変更)に入社し、同五六年六月以降SSKの修繕部長兼艦艇造修部長として右各部所属の部下職員等を指揮監督し、同社が請負った修繕船工事を施工するとともに、右各部安全衛生管理者及び右各部統括安全衛生責任者並びに修繕船防火指揮者として前記公訴事実記載のとおりの各業務に、被告人Yは、昭和三八年四月SSKに入社し、同五六年六月以降SSKの修繕部機関課長兼艦艇造修部機関課長として被告人Xの右業務を補佐するとともに、同被告人の指揮の下に右各課所属の部下職員等を指揮監督し、同社が請負った修繕船の機関部門に対する修繕工事を施工するとともに、右各課安全衛生管理者及び右各課統括安全衛生責任者として前記公訴事実記載の通りの各業務にそれぞれ従事していた。(2)SSKでは、昭和五六年一〇月にインド政府海運事業団(THE SHIPPING COR-PORATION OF INDIA, LTD以下「SCI」という。)よりその所有するインド船籍鉱石兼用油槽船ベラリー(BELLARY)号、バイラディラ(BAILADILA)号及び本船バラウニ(BARAUNI)号(総トン数、約四万五七五二トン)の三隻の修繕工事を請負ったが、右の三隻が同型の姉妹船であり、いずれも頭文字がBであったことから、これらをBシリーズ船と呼び、被告人Yをチームリーダーとし、関係部局の工事担当者をメンバーとするプロジェクトチームが被告人Xの命によって編成され、同チームが右Bシリーズ船の各修繕工事における船体、電気及び機関の各部門間並びに船側等との生産工程の調整や技術上の問題点の検討・調整などの任務を担当していた。(3)SSKでは、修繕部長兼艦艇造修部長の被告人Xが、右Bシリーズ船をはじめとして、修繕船工事の責任者になっており、その工事の施工についてはライン管理の態勢がとられ、機関部門の施工についても、修繕部機関課長兼艦艇造修部機関課長の被告人Yの指揮の下、修繕部機関課修繕機関係長Pと艦艇造修部機関課艦艇機関係長Qの両名が担当し、両名がその部下の現場長を、各現場長がその部下の工長及び作業員をそれぞれ指揮し、また、各修繕船工事ごとに部長のスタッフ機関である修繕部主任室等から工事の担当者が機関、船体、電気の各部門ごとに選任されて配置され、本船工事については、被告人Xによって、右主任室主務Rが機関部門における工事の担当者である機関区画担当主務に選任されており、同主務が同部門関係の工事についての計画、見積、本船側との連絡折衝、部内の工事関係者間の連絡調整等の任務を担当していた。(4)本船及びバイラディラ号の二隻は、SCI側の配船上の都合により、ほぼ同時に修繕工事を行うこととなったため、本船は、バイラディラ号とともに昭和五七年三月一〇日長崎港に入港し、同月一三日佐世保港に入港してSSK第三ドックに入渠、同夜から修繕工事が開始されたが、SSKでは、同月一四日ころ、本船の機関室内で予定されていた多数の火気作業のために同室内にガス切断器及び電気溶接器を搬入し、以後、同室内では右の火器を使用するなどして、SSK所属及び下請企業所属の作業員約七〇名が昼夜交代で各種の作業に従事していた。(5)本船は、同月一七日まで右ドック内で工事を行い、同月一八日午前七時、右ドックからSSK構内の蛇島南岸壁へ回送され、同岸壁に係留されていたバイラディラ号の外側に係留され、同日午前九時ころから、作業員が乗船して工事が再開された。(6)本船の構造、とくに同船機関室の構造については、原判決が「当裁判所の判断」第二の一で認定判示するとおりであり、同機関室は、船尾部の甲板下に設けられていて、その面積は約五〇二平方メートルで、上部から上段フロアー、中段フロアー、下段フロアー、フレートプレートの四層に分かれ(原判決添付別紙図面一)、各フロアーとも種々の機器が入りくみ、通路も狭くなっており、同室の主要な出入口は、上甲板左右両舷の通路及び船尾側甲板下食糧倉庫等にあって同機関室の最上方に集中し、同室内は、各フロアーとも、それぞれ左右両舷に上下の各フロアーと連絡する昇降階段一脚が設置され(但し、左舷側階段のうち、下段フロアーとフレートプレートを結ぶ階段のみは、本件火災当時、修繕工事の過程で撤去されていた。)、フレートプレート及びその上方の各フロアーは鉄板で通路が仕切られているだけで、煙突まで吹き抜けになっており、船首側・船尾側・両舷側がそれぞれ隔壁となって区画されている。更にフレートプレートの下の船底部は、タンクトップ・ビルジウェルとなっており、その下は二重仕切のダブルボトムタンクであり、右タンクトップからフレートプレートまでの高さは、一・六四メートルであるが、同タンクトップは、中央部にあるメインエンジン(クランクケースの長さ一五・五メートル、横四・一メートル、高さ八・二メートル)の船首側五〇センチメートル付近から約一七度の下り勾配となっており、船首側ポンプルームの隔壁までの三・七五メートルの部分は、船尾側のタンクトップより約四八センチメートル低くなっている。その船首側のタンクトップは、カーゴオイルポンプタービンフロアー(以下「COPタービンフロアー」という。)と呼ばれ、同タンクトップ上の左右両舷にはCOPタービンの台座が、その中間付近にはG・Sポンプの台座などがある。メインエンジンのクランクケースの下は、ビルジウエルとなっており、その油だまりの深さは一・一メートルに設計されているが、同クランクケース底部がタンクトップより約五二センチメートル低くなっているため、船首・船尾側の一部を除き、その深さは約五八センチメートルとなっている。(7)なお、SSKでは、同年三月一一日、本船とバイラデイラ号の長崎入港とともに両船の下見と工事打合せのため、被告人Y及びR主務ら関係者が、SCI工務監督Jらとともに長崎に赴いたが、その際、R主務は本船機関室内が油で汚れている上、船底部のタンクトップ上に大量のビルジが滞留しているのを認め、翌一二日SSKへ帰社するとともにP係長にその旨を伝えて機関室内のビルジを除去するよう依頼した。R主務は、同月一三日自己が主催し、被告人Yも出席して開催した本船工事の安全衛生工程会議の際にも、工事関係者に同船機関室内の油汚れがひどく、船底部にビルジが溜っていることを指摘して注意を喚起するとともに、SSKの下請企業合資会社甲野組の機関課係長Tに右ビルジの排出を指示した。R主務は、右安全衛生工程会議の内容及び前記注意事項等を記載した会議議事録を作成して上司に提出し、同月一七日には被告人Xもこれを閲覧し決裁印を押捺した。右のビルジは、SCI側が長崎港において排出したため、佐世保港入港当時は減少していたが、同月一四日以降の修繕工事による機器類の開放に伴う重油、潤滑油、海水、清水等の流出や、本船船員によるタンク内の油や水の放出等によって再び増加を始めた。R主務は、同月一五日午前一〇時ころ、本船機関室内を見回った際、タンクトップ上に再び多量のビルジが滞留しているのを認めたので、その後、同船内で被告人YとともにJ監督らと工事の打合せを行った際、SSK側でビルジ排出をしたい旨申し入れ、被告人Yの了解を得て、バージ船の手配を行うとともに、前記甲野組のT係長にも電話で本船のビルジ排出の指示をした。甲野組では、同組の現場責任者Uらが、本船機関室のフレートプレートに設置した排水ポンプで同日からビルジの排出作業に着手し、当初は、ビルジをドックの底に排出していたが、ビルジの量が減り、その上部に溜っている残油が流出するようになったので、同月一六日午後一時から、バージ船内にビルジを排出した。そして、バージ船に積載したビルジが約一一八・二五〇キロリットルに達したところで、同船の容量を超えるに至ったので、同月一七日午後二時にビルジの排出作業を中止したが、その後ビルジ排出作業は再開されず、タンクトップ上には、なお多量のほとんど油分ばかりのビルジが残っており、メインエンジン前方にあるビルジウェルには、右排出作業中止当時深さ約三五センチメートルのビルジが溜っており、フレートプレート船首側の前記G・Sポンプやその周辺のCOPタービンフロアー付近一帯のタンクトップ上には、なお深さ約二センチメートルの油分の多いビルジが一面に付着滞留していた。これらのビルジは、極めて着火炎上し易く、かつ、いったん炎上した場合にはその燃焼力が極めて著しいものであった。(8)本船側のJ監督、本船機関長K及びSSK側のR主務らは、同月一八日午前一〇時ころ、機器の開放検査のため、機関室内を巡回点検していたが、フレートプレート船首側に設置されているG・Sポンプを点検した結果、SCIにおいて同ポンプのオーバーホール修理をSSKに追加工事として発注することとなり、協議のすえ、同ポンプの取りはずしは本船側で行うこととなったので、Kは、同日午前一〇時三〇分ころ、三等機関士LをG・Sポンプ付近に呼び、同ポンプ本体の取りはずし作業を行うよう命じた。(9)Lは、同日午前一一時三〇分ころ、それまでフレートプレート右舷後部の発電機清水ポンプのケーシングの開放作業をしていたポンプ取付工助手M及び同Nの両名を、前記G・Sポンプ付近に連れて行き、右ポンプとパイプをつないでいる左右二本のフランジのボルトナットの取りはずしを命じた。Mらは、Lの監督の下に、右取りはずし作業を行い、同日午後一時三〇分ころ右作業が終了したので、Nは、再び前記発電機清水ポンプのところに赴き、中断していた同ポンプの開放作業を続けた。Mは、Lより、引き続いてG・Sポンプの本体と台座を固定している六本のボルトナットをスパナを使って取りはずすことを命ぜられたため、その作業にとりかかった。(10)Mは、指示どおりにスパナで右のボルトナットをゆるめようとしたが、錆びついて動かすことができなかったため、その旨をLに報告したところ、同人よりガス切断器を日本人作業員から借用するよう命じられ、近くでパイプの配管作業をしていたSSK作業員D及び同下請企業乙山工業作業員Eの両名から、同人らが使用していたガス切断器を借り受けた。(11)Mは、同日午後二時すぎころ、右ガス切断器を使用して作業にとりかかり、まず、右舷船首側のボルトナットを約一五分かかって溶断し、ハンマーで右赤熱したボルトナットを叩いて下のタンクトップの上に落とした後、今度は右切断器で左舷船首側のボルトナットの溶断を始めた。(12)一方、Dらは、Mの使用している右切断器の酸素とガスの調節が悪いことに気付いたことから、まず、Dが、G・Sポンプのところに行き、Mの使用している切断器を取り上げて、これの調整をしようとしたが、うまく調整することができなかった。入れ替わりに同所に来たEが、Mから右切断器を取り上げて点検したところ、切断器の火口が火熱のため溶けていたため右切断器の火口を取りはずして別の火口と取り替えたうえ、自分の点火用ライターで点火し炎の長さを調節してMに渡した。(13)Mは、その後、再び台座の上に降りて、二本目のボルトナットの溶断作業を続け、これを溶断し、ハンマーで右赤熱したボルトナットを叩いてタンクトップの上に落とし、同日午後三時ころには、左舷船尾側のボルトナットの溶断を始め、約六、七分でこれを溶断し、ハンマーの先でその三本目のボルトナットを突いて、タンクトップの上に落した。その後、Mは、右舷船尾側のボルトナットの溶断を始めた。(14)Mは同日午後三時一五分ころ、右四本目のボルトナットを溶断し、前同様ハンマーの先で赤熱したボルトナットを前に突いてタンクトップ上に落としたところ、右G・Sポンプ台座及びその周辺のCOPタービンフロアー付近一帯には、前記のとおり多量の易燃性残油を含むビルジが滞留しており、かつ、同所はプレート及び各種の配管により半密閉状態になって、発生する熱が蓄積しやすい状況にあったため、Mの使用するガス切断器で赤熱し、溶断されたボルトナット片三個及びその火花や溶断片(ノロ)などの落下により、タンクトップ上の易燃性残油などに着火燃焼が起って次第に温度が上昇し、ついに四個目の赤熱溶断されたボルトナット片の落下により、易然性残油等の燃焼点に達し、火災が発生するに至った。(15)Lは、Mが四本目のボルトナットを溶断した直後に、G・Sポンプの右舷側開口部のタンクトップから多量の煙が立ちのぼっているのに気付き、直ちに左舷COPタービンプラットフォームに降りて、プレートの下からG・Sポンプ台座方向をのぞいたところ、台座付近から高さ一五センチメートル位の炎が燃え上がっているのに驚いて、Mにそのことを告げてプレート上にかけあがったが、Mもそのときは既にプレート上に出ていて煙を見て驚愕し、近くにあった水さしをとってLに手渡した。(16)Lは右水さしで左舷側にある油清浄機室の水道の水を汲んで消火するつもりで、後部にある同室入口近くの水道の蛇口をひねったが水が出ず、狼狽して、Lとともに左舷側にある消火栓まで走ってバルブを開いたが、右消火栓備付けのホースは取りはずされて他に移動されていた上、消火栓自体も僅かに水が出ただけですぐに止まってしまった。(17)一方、Nも、そのころ休憩のため居住区へ行くべく右舷側階段近くまで来ていたため、火災発生に気付き、G・Sポンプのところへ駆けつけ、付近に置いてあったSSKの二酸化炭素消火器(薬剤重量二・三キログラム)を取り上げ、MとともにG・Sポンプの開口部から下のタンクトップの燃焼地点に消火液をかけ消火しようとした。Lも、フレートプレート船首側中央部付近においてある本船備付の車付きの大型消火器(容量四五リットル)のところに走って行き、同消火器をG・Sポンプのところまで引っ張って運搬しようとしたが、狼狽のあまり、途中で右消火器を転倒させてしまった。(18)そのころには、G・Sポンプ台座付近から立ちのぼる黒煙は次第に濃くなって火勢も激しさを増し、メインエンジン前部のビルジウェルに達し、「ボーン」という音とともに一挙に黒煙が噴出し火勢が拡大した。M及びNの両名は、右の爆発音のような音と黒煙に驚いて、消火活動を断念し、その場に前記消火器を棄てて右舷側階段から機関室外に脱出した。Lも同様に驚愕して消火活動を断念し、そのまま左舷船尾方向に走り、メインエンジンの後方を廻って右舷側階段から機関室外に脱出した。(19)またフレートプレートで作業中の作業員等のうち、下請会社丙商工作業員H(一七歳)、同G(一九歳)の両名は、出火当時、右舷側階段付近の海水ポンプのケーシングカバー磨きの作業をしていたが、「ボーン」という音がG・Sポンプ付近でしたため、同所を振り返ったところ、煙と炎が見え、Mらが階段方向に走ってくるのを見て火災発生を知り、直ちに右舷側階段から脱出した。また、本船四等機関士O(三三歳)は、Nとともに発電機清水ポンプの解放作業をしていたが、休憩のため居住区に赴こうとして右舷側階段付近まで来たとき、G・Sポンプ付近から煙が上がっているのを見て、火災発生を知り右階段から直ちに脱出した。(20)右Lらの脱出後、火勢はますます拡大し、黒煙は機関室全体に充満し、その結果、火災発生当時機関室内で作業していたSSK及び下請企業各所属の作業員六八名並びにL及びMら本船船員七名のうちフレートプレート及び下段フロアーで作業中の原判示の一二名がそれぞれ同判示のとおり死亡し負傷するに至った。(21)本件火災発生を知ったSSK工長Vから、同日午後三時二七分、SSK保安課へ火災発生の電話通報があり、また、本船からも同日午後三時四〇分、佐世保消防署へ直接火災発生の電話通報があった。(22)そして、SSKの自衛消防隊ほか、佐世保市消防局の消防車や救急車等多数が出動して消火救難活動につとめた結果、翌一九日午前一時四〇分鎮火したが、本件火災によって、本船機関室内は、フレートプレートのG・Sポンプ左右両舷のCOPタービンプラットフォームその中間のタンクトップを中心に、船尾方向に向かって機関室の三分の一を焼燬し、メインエンジンのコラムという厚さ二、三センチメートル位の鋼板で組み立てられた構造物が熱変形をおこすまでに至った。
以上認定の事実によれば、本件死傷事故は、原判示各業務に従事中の被告人両名が、SSK構内において同社が請負った本船工事を施工するにあたり、本船機関室内の工事につきSSK及び下請企業所属の作業員合計約七〇名を使用して実施していたところ、同機関室船底部において、本船船員Mらが火気作業に従事中、過って同船底部に滞留していた易燃性残油を含むビルジ(以下「油性ビルジ」という。)に着火炎上させたことによって発生したことは明らかである。
そこで、右死傷事故発生に関し被告人両名の過失の有無について検討してみる。まず本船機関室の構造についてみると、前記(6)認定のとおり、同室は煙突へ吹抜けになって周囲を隔壁等で区画された半密閉構造となっており、内部は四層に分かれ、各層とも種々の機器が入りくみ、通路も狭く、それぞれ昇降階段で連絡され、室外への主要な出入口も同室の最上方に集中してはいるが、これらは船舶の構造としては一般的なものであり、むしろ関係証拠によれば、右機関室の通路は、左舷はフレートプレートからアッパーデッキまで手すりを握ったまま順次上方へのぼれるような状況で、右舷が中段フロアーで一旦若干後部へ移動し、上段フロアーに通じる階段をのぼる程度であり、比較的分かりやすいこと、現に、本件火災発生時フレートプレートで作業していた前記G、Fの両名が、船舶の修理に従事してまだ日が浅く、本船機関室に初めて入ってから火災当時まで四日間しか経験していなかったのに、通路としては左舷より複雑とされる右舷側の階段をわずか四五秒程度で脱出避難していることが認められるのであって、これらに徴しても、本船機関室が原判決のいうように複雑で避難に非常な困難が伴う構造であるとはいうことができない。また、当審事実取調べの結果によれば、本船機関室において予定されていた主な火気作業は、煙突内部のコンポジットボイラーのチューブ取替え工事、上段及び中段フロアーでの補助ボイラーのACC装置の改造工事、フレートプレート上のCOPタービンの換装工事、給水ポンプの新設工事であって、これらの工事のためにガス切断器が、フレートプレート船首部付近に二台、フレートプレート右舷後部に一台、下段フロアー前部付近に三台、下段フロアー右舷後部に一台、中段フロアーボイラー前に一台、中段フロアーボイラー回りに三台、上段フロアーボイラー前に一台、煙突内コンポジットボイラー回りに九台それぞれ配置されていたことが認められるところ(なお、電気溶接器はガス切断器と対で同数配置されていた。)、船底のタンクトップ上のビルジと直接関連を持つのは、右のうちフレートプレート上の工事であるCOPタービン換装工事に使用される船首部付近のガス切断器、電気溶接器の各二台と給水ポンプ新設工事に使用される右舷後部のガス切断器、電気溶接器の各一台のみと考えられ、ビルジとの関係で火災発生の危険性がある火器並びに火気作業はそれほで多くはなかったということができる。次に関係証拠によってビルジの一般的性状についてみるに、もともとビルジとは水を主成分とする汚水状のものをいうのであって、それ自体は着火炎上の危険性はないものであるが、ただ機関室においては機器類の整備、解放、漏油などの原因で油分が加わることがあり、原判決のいうように、右油分の性状、程度、量などが各修繕船においてさまざまであり、修繕船工事において油分を含んだビルジの危険性を一律に論ずることはできないが、本船バラウニ号のようなディーゼルエンジンを主機とする船舶においては通常その油分というのは潤滑油か燃料であるA重油、B重油、C重油であり、その引火点は一般にA重油が六〇ないし一一〇度C、B重油が八〇ないし一二〇度C、C重油が八〇ないし一五〇度Cとなっており、又潤滑油の引火点はJIS規格により一九〇ないし二〇〇度C以上に規定されているのであって、これら引火点の高い油分が水の表面に浮いている機関室のビルジは直ちに火災につながることを予見させる程の危険性の高いものとはいえないものである。本件火災以降、SSKにおいて多くの修繕船の機関室内のビルジの引火点を測定しているが、その結果をみても二四五例中一例が引火点六六度Cであったもののその余はすべて引火点七〇度C以上のものであり、引火点一一〇度C以上のものに限れば全体の八九パーセントにも及んでおり、修繕船機関室内の通常のビルジは引火点も相当に高いことがうかがえる。さらに造船業界におけるビルジの危険性に対する認識についてみても、SSKが加盟している社団法人日本造船工業会の労務委員会安全部会が修繕船工事における爆発、火災等による危害を防止するため、作業等についての安全衛生面からの必要事項を定めて策定したという原判示造工基準の昭和五一年四月改定版にも全くビルジという用語が出ていないことからみて、ビルジをそれほどの危険物とは考えていなかったことがうかがえるのである。なるほど、船底にビルジがあれば火気作業により発生した火花や火の粉がビルジ面に落下し、そこに含まれている油分に着火して炎が発生することはあるけれども、前示した通常のビルジの場合は下方に相当量の水が存在しているため一般には自然に消えてしまい燃焼継続には至らないものであり、このことは当審事実取調べの結果によって認められるSSKにおけるビルジ着火実験の結果(引火点七〇度Cの廃油でも全然着火しなかった。)によっても裏付けられるのである。確かに本件事故前の昭和五七年三月一五日、本船のガス検知を行っていたSSK安全衛生環境室技員Wが同船機関室船底部の右舷船首側COPタービンフロアー付近のタンクトップ上のビルジの状況を見て同所での火気使用を禁止するよう指示したこと、その後右指示が徹底されなかったことから同日及び翌一六日、SSK作業員ZらがCOPタービン排気管のボルト・ナットの切断作業をした時、ガス切断器の火花がタンクトップ上のビルジに落ちて着火したり、あるいは同月一六日及び翌一七日、同作業員Cらが前記給水ポンプ新設の台座取付の作業をした時、同じくガス切断器の火花がタンクトップ上のビルジに落ちて着火し、その都度放水あるいは二酸化炭素消火器で消火していることが関係証拠上認められるのではあるが、SSK作業員Hの別件公判供述によれば、W技員から火気使用の禁止を直接指示された同人は当時のビルジの状態が深さ一五センチメートル位で油の層は一センチメートル未満にすぎないことから火気作業に危険はないと思っていたことがうかがわれるのであって、これらのビルジは、その表面の油分に着火しても、前示のとおり燃焼継続には至らない性質のもので、原判決の指摘するように火災発生に至る高度の具体的危険性を有するものとは断じ難いのであり、このことは長崎県警が昭和五七年三月二九日に本船機関室G・Sポンプ台座付近船底から採取したビルジようのもの(同県警鑑識課の引火点測定によれば、引火点は四一度Cから四八度Cとなっている。)にボルトを一本づつ四本ガス切断用吹管で溶断して落としビルジ着火燃焼の実験をした結果、毎回ビルジ面に着火はするが、いずれも間もなく自然消火し、燃焼が拡大継続しなかったことからもうかがえるのである。そして関係証拠によれば、SSKにおいては本件当時初期消火態勢として、火気作業をなすにあたり火気見張員を立て、ガラスクロスなどで火受けをし、水ホースや消火器を準備するなどの防火対策をとっていたことが認められるのであって、これらを併せ考えると、通常の場合は、本船機関室における火気作業によって火災の発生する危険は存しなかったということができる。さらに関係証拠により機関室における災害発生の状況をみると、昭和四七年一月から同五六年一二月まで一〇年間の機関課休業災害発生件数は一〇件であるが、これは墜落事故、物体落下による事故などで機関室の火災事故ではなく、又、右期間内の工期一か月以上、機関部工数八〇〇〇時間以上、定期検査以上のいずれかを充たす機関部大型工事の船は合計一一六隻であるが、この間機関部で一件も火災事故は発生していない。他方、造船業界の機関室に対する認識についても、前記造工基準の昭和五一年四月改定版にも機関室に対する安全対策のための各措置について特に規定がないことからみると、機関室は一般に原油などを積載するカーゴタンク等の他の区画に比して安全であるという考え方であったといえるのである。このようにみてくると、本船機関室は、通常のビルジの存在を前提とする限り、原判決のいうような高度の具体的危険を生じ得る作業環境ではなかったということができる。
ところで、本件において、本船機関室船底部に滞留していた油性ビルジが火災発生の主因をなしていたことは前記認定のとおりであるが、右のビルジはほとんど油分ばかりの極めて着火炎上し易いものであって、前記認定のビルジの一般的性状とはおよそ懸け離れたものであったということができる。すなわち、長崎県警鑑識課が本船機関室上段オイルタンクから昭和五七年四月一日に採取したヘビーオイル(C重油)、ディーゼルオイル(A重油)、発電機用潤滑油と表示のあるそれぞれの油の引火点を測定した結果によると、右ヘビーオイル(C重油)の引火点が三七度C、ディーゼルオイル(A重油)が六四度C、発電機用潤滑油が八三度Cとなっており、当審証人Iの供述によれば、インド国においてはタンカーの燃料油としてのディーゼルオイルにはハイスピードディーゼルオイルとライトディーゼルオイルの二種類があり、右のハイスピードディーゼルオイルの引火点は三八度Cであることが認められるのであって、そうだとすれば、本船においては燃料油として右の引火点三八度Cのハイスピードディーゼルオイルがヘビーオイル(C重油)なる名称で使用されていた可能性が強いといわなければならない。本船機関室内のビルジの状況及びSSKによる右ビルジの除去状況については前記(7)認定のとおりであるが、ビルジは比重の関係から水の上に油分が浮くような状態になるのであって、排出する場合には当初水だけが排出され、後に油が排出されることになることからみると、昭和五七年三月一六日午後一時からビルジの上部に溜っている残油が流出するようになったのでUらがバージ船内にビルジを排出し始めた際にはビルジウェル等のビルジは水が先に排出されてほとんど油分ばかりのビルジになっていたと考えられる。そして翌一七日午前八時三〇分ころから同日午前一〇時三〇分ころまでの間、本船船員において前部燃料タンクのマンホール内からメインエンジン右前方のビルジウエルに排水ポンプで何らかの液体(重油の疑いが強い。)が流し込まれ、その後後部の清水タンクの水が右ビルジウェルに流し込まれたことが関係証拠上認められるけれども、これらのこともあってビルジの量がなかなか減らず、同日午後二時にバージ船の容量を超えたため、右Uらにおいてビルジ排出作業を中止せざるを得なくなったが、その際に前記(7)認定のとおりタンクトップ、ビルジウェルになお多量のほとんど油分ばかりのビルジが残ることになったのである。また、本船機関室の火災は発生後鎮火まで一〇時間余りにわたって燃え続け、その結果機関室の三分の一を焼燬し、メインエンジンのコラムが熱変形をおこしたことは前記(22)認定のとおりであるが、通常機関室内で主として燃焼するものといえば重油等の油類しか考えられず、これらからするとメインエンジン下のビルジウェルには本件火災当時相当多量の油が存在しこれが燃焼したことは明らかなところである。右のように本件火災発生当時における油性ビルジは、その原因は必ずしも明らかとはいえないけれどもいわゆるビルジの一般的性状とは異なるものに変化していたということができるのであって、このようなビルジの変化は通常予測することができない事態であり、それはビルジというよりはむしろ油そのものといっても過言ではなかったのである。
ところで、原判決は、修繕船工事については、船内の油汚れや保守管理の悪さ、油分を含んだビルジの存在などから、火気作業を伴う工事の場合には火災発生の危険性が一般に極めて高いものであって、当該修繕船工事の作業環境は、通常火災事故発生の具体的危険性が存在している蓋然性が極めて高い領域であったというのであるが、本船機関室は、もともと原判決のいうような高度の具体的危険を生じ得る作業環境といえないことは前説示のとおりであって、そうであれば、被告人両名がそれぞれSSK修繕部長兼艦艇造修部長あるいは同修繕部機関課長兼艦艇造修部機関課長として前記(1)認定の各業務に従事し、作業員の作業環境の安全を確保すべき管理責任を負担しているからといって、それだけの理由で直ちに被告人両名に本船機関室の作業環境について、原判決のいうような自ら又は第三者を介して積極的な情報収集を行い、その危険要因の存否を個別具体的に確認するとともに、もし災害発生の具体的危険性の存在を徴表する重要な客観的事実を認知した場合には、より詳細な特別の情報収集をなしたうえ、危険性の存否を明確に判断し、存在する危険性に応じた適切な具体的措置を講ずべき義務があるということはできない。確かに関係証拠によれば、被告人Xは、当時組織上定期的及び随時の安全衛生管理活動として「修繕部主任部員との毎日の朝会の際の同主任部員からの報告」、「課長、係長、各船の区画担当主務、修繕部主任室各員からの随時報告」、「安全衛生環境室並びに同室から各修繕船に配置されている安全衛生専任からの報告」、「課長、係長、主任部員との週一回の昼食会の際の各参加者からの報告」、「週一回の課長会議の際の課長からの報告」、「区画担当主務作成にかかる工事着工前に開催された安全衛生工程会議の議事録」、「区画担当主務等による各修繕船の状況についての受注下見時、着工前下見時の各レポート、報告」、「安全に関する各種委員会、会議」、「自らの現場パトロールによる把握」などの、被告人Yも同じく、「係長、現場長との毎日の朝会の際の同各長からの報告」、「前記週一回の部の昼食会の際の他参加者からの報告」、「前記課長会議の際の他参加者からの報告」、「前記工事着工前の安全衛生工程会議への参加」、「前記各下見時の各修繕船の状況についてのレポート、報告」、「前記安全衛生工程会議の議事録」、「自らの現場パトロールによる把握」などいろいろな手段を講じて一般情報の収集につとめていたこと、しかして、被告人Xにおいては、本船機関室の構造は本船と同型船のベラリー号における現場パトロールによってその概要を把握していたし、また、同室内での作業内容や人員配置等についても見積書等によってその概要を承知しており、さらに同室内が油汚れがひどく、ビルジも存在することや、右ビルジが本船と同型船のバイラディラ号では火気作業中に着火していることなどもR主務から提出された前記各下見時のレポートや安全衛生会議議事録、安全衛生環境室S技員からの安全衛生報告書などによって知っていたこと、被告人Yについても、Bシリーズ船プロジェクトチームのリーダーとして被告人X以上に本船機関室内の状況、工事の内容、人員の配置、ビルジの存在などについてこれを認知していたことがうかがわれるのであるが、機関室のビルジの一般的性状は前説示のとおりその含まれている油分に着火しても燃焼継続には至らず、初期消火態勢をとっておけば危険なものではないのであって、被告人両名も当然そのように認識していたのであるから、前記ビルジの存在や火気作業中のビルジ着火の事実を認知したとしても、これが直ちに火災の危険要因を予測せしめるほどの異常現象とまではいえず、これをビルジの通常の状態であると考え、防火上の一般的注意を喚起したにとどまってそれ以上格別の具体的措置をとらなかったことは非難すべきものではなく、本船機関室船底に前認定のような異常な油性ビルジが存在していることについては被告人両名として予見することができなかったところであり、かつ、予見しなかったことに過失があったものともいえないのである。
してみると、右油性ビルジの着火炎上による本件死傷事故発生に関して被告人両名にその予見可能性はなかったというべきであって、結局原判決はこの点につき事実を誤認しているものというほかなく、更に進んで被告人両名の各注意義務、右義務の懈怠(なお付言するに、原判決は、被告人両名に対し避難口開口義務及び非常用仮設梯子設置義務を認めているのであるが、原判示防爆基準によれば、本船機関室における避難口開口は機関区画担当主務のRの職責であり、また非常用仮設梯子の設置については現場長の職責であることは明らかであって、被告人両名がこれらの者の監督責任を怠っていたかどうかを問題とするのなら格別、被告人らに直接行為責任を課すことは相当ではない。確かにSSK安全衛生管理規程には「各職制は、同規程に定める安全衛生管理を実施する権限と責任を有すること、必要に応じ安全衛生を推進するものを選任して、その職務の一部を代行させることができるが、これによってその責任を免れることはできない。」旨明記されているが、これは職務代行者を選任しても監督責任を免れないことを定めていると解するのが相当であって、直接行為責任を問題にしているのではないというべきである。)並びに本件事故との因果関係に関する原判示の当否について判断するまでもなく、被告人両名の各責任はいずれも否定されるのであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
それで、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、さらに次のように判決する。
本件公訴事実は前示のとおりであるが、前説示のとおり、本件被告事件については犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法四〇四条、三三六条後段に従い被告人両名に対し無罪の言渡しをすることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 淺野芳朗 裁判官 吉武克洋 大原英雄)